熊野前日〜1日目
熊野へは金曜日から始まるけど、少し甘えて木曜日に移動。
水曜日はお店がないため、仕事を終えて仮眠したあと、深夜1時から活動開始。運転は7時間超え。同乗者の金久保は、運転はしないものの、気を使って弱虫ペダルやマツコデラックスのテレビを撮り溜めしてきてくれた。
現地について、50kmほどサイクリング。途中で本コースから外れて20分ほどヒルクライムしたり。どうやら私はレースの前日に70kmくらいに走ると調子が良くなるみたい。
1日目 / 3位
ゆっくり起きて、ゆっくりご飯を食べ、ゆっくりと始動。
試走はなし。そのかわり車内で前年の熊野レースの動画を見ていた。どこでどう走るかイメージを作る。このイメージ作りはなるべくやっておきたい。モチベーションのアップにもなる。
私はレーススタート前の場所取り合戦が好きではないので、いつもは集団最後尾からのスタートなのだが、今回はたまたま先頭から走る事が出来たので、レース開始後40秒ほどグッと踏む。乳酸が入る手前で踏み止めてウォーミングアップの代わり。基本平坦とあって選手達が入り乱れるので、あとは集団の流れに任せて走る。ただし危険回避のため、トンネル前や登りでは前目前目でクリアするように心がけていた。
今回はチームメートの風間が落車からの病み上がりということで、基本的に単独戦。最後の2分は力を使いっぱなし。最終コーナーを2番手でこなして1人交わして2人に捲られ、3位。
坂を2番手で通過するのは完全に狙い通り。あとは後ろの人次第。
今回はスプリントに強い選手に番手を取られて負けちゃったし、逆にクライマー系が番手を取ってくれれば捲られずにそのまま勝てただろうし。自分の前方は多少選べても、自分の後ろの選手は選べないから、仕方ないと思う。
仕方ないけど悔しい、優勝ではない順位。平日とあってそのままスポンサーに敗北報告し、慰めてもらいました。
2日目 / 17位
昨日の夜食は、ウィダーインゼリーのプロテインを4つ、したらば(かにかま)を4つ、アミノバイタルを3つ、メイタンの2ランを1袋。
将棋の名人戦が長引いたこともあって夜中1時に就寝。3時に目が覚めてしまったのでコーラ飲んでもう一度寝た。
2日目のレースは山岳コースとはいうものの、4kmの登りが1回と登りのゴールスプリントのみ。
最近のE1のレースでは、サイクルフリーダムは絶対逃がしてくれない代わりに、どんなに遅く走っても、滅多に前に出てこられることがなくなった。
私としては力を使わずに先頭に居座らせてくれるなら不満はないが、これでは余りにヌルいのではないか。
折り返し地点は先頭通過。登り始めも1番手通過。丸山千枚田を先頭集団で登り切ったのは17名。
先頭が4名、メインが10名ほど。タイムギャップは目測15秒。状況によっては単独でジャンプすることも考えていたけど、先頭4名は最後まで踏めそうな脚には見えなかったので却下。ある程度踏んである程度ペースを作り、ある程度の差を詰めたところで放置し、あとは自然吸収。
一通り展開を作った後は引かず。そのままゴールまで連れてってもらえれば、スプリントで勝てる。また、シルベストの藤原選手とリーダージャージの佐藤選手の3名がローテに加わらず。私と同様に少人数のままスプリントが開始できれば勝てる自信があったのだろう。
逆に他の14名は、この3人から逃げるような動きをしなければいけなかったはず。しかし集団はやけにのんびり。登りで千切れた人達まで後ろから迫りつつあったのに。
私個人も必要以上に人数が増えてスプリントで埋もれてしまうのが嫌だったので、少しばかり力を貸したが、仮にもE1と呼ばれるみんなはそんなレースでいいのか?それとも私が力を貸すことまで想定していたのだろうか。もし本当にそうであれば、それは私の考えの上をいき、ちゃんとレースをしていたと言えるのだが…。
丸山千枚田を先頭で登りきった17名でそのまま優勝争い。
私は、残り200mで4番手につけていたけど、スプリント開始時にクリートが割れて着順争いから脱落。佐藤さんと藤原さんの3つどもえで登りスプリントを競って見たかったけど、それが出来なかったのは単純につまらなかった。
総合リザルトもダメになっちゃったし、明日はどうするかな、
熊野3日目 / 22位
ヒゲが伸びてきた。
実業団レースでは『イワサ店長怖い説』があるらしい。
レース前、実は朝こんな文章を日記に書いていた。
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今日はシルベストさんが12名、VCフクオカさんが6名。対するフリーダムは私と佐藤さんの2人です。
最後の1.5kmがひらけた平坦で、毎年スプリント戦になりますが、アシスト勝負になってしまったらまず勝てません。
必ず逃げてきます。それで勝てなかったら、すみません。
……と。
もちろんこれは、お客さんに対するアピールではなく、私なりの決意表明というか、覚悟を決めるために書いたもの。声を具現化する事で自分を追い込む事が出来る。
逃げる時はいつでも怖い。特にE1レースは滅多に逃げが決まらないカテゴリーであり、自分から先に力を使うのは、すごく勇気が要る。だから、恐怖に負けないために書いた。
逃げられるかどうかもわからないのに、逃げたとしても逃げ切れるかどうかわからない。でも逃げないと勝ち目がないレースが始まる前は、とてもナーバスだった。
…たしかに岩佐店長がちょっと怖く見えたかもしれないな。
レースはいつも通り最後尾からスタート。
1回目の登り坂で集団の中腹までピョン。その後しばらく続く登り勾配で先頭までピョン。ダウンヒルは危険回避も兼ねて先頭で。
2周目は先頭で坂に侵入。KOM狙いの人が3人先行して、それにカウンターを当てるようなイメージで登り終わる直前を狙ってアタックした。スルスルっと出て車間を空けてもらえるような事がないのはわかっているので、逃げる時は力で先行するしかない。1人で最後まで行くつもりでガツンと出て、8人が抜け出した。抜け出せた!8人はすぐに協調した。
この逃げは結局つかまってしまうのだが、仮にもE1が縦一列でブチブチ中切れしてしまうような坂で、自然に前に出れたり、KOMを狙う余裕があったり、カウンターをかぶせる力があるメンツが8枚なのだから、見逃して泳がせて良いはずがない。VCフクオカの佐藤さんが自ら集団を一列棒状にして追ってきていたのも確認していたが、テクニカルな下りと90°コーナーが多いコースで、メイン集団はこの8人を捕まえるのにまるまる1周かかった。
この時私の頭の中にあったのは、「2周目でコレなのだから、3周目でもう一度同じようにやれば、かなりの確率で勝負を決める動きになるかもしれない。」ということ。それに反応できるのもおそらく5人程度だと感じていた。この1周はかなり速かったが、脚は大丈夫。力を使い切っていい3周目なら最後までイケる!と。
実際は……坂の直前で交通規制車、先導カー、審判カーを抜いてしまい、なんとレースが一時中断してしまった。
いや、選手の間で一時中断しようという意見が一致し、選手全員の自主判断のもとでニュートラルをかけることになった。提案して反対した選手はいない。ポジションを守ろうと持ちかけて破った選手もいない。さすがE1の選手達で嬉しかった。
ただ……
唯一の仕掛けどころであった坂を失った私としては、すでにチェックメイト…いや逆チェックメイトだった。
KOMを通過した後は、下り勾配のコースで多勢に無勢。勝利ではなく危険回避のために前を引くことに淋しさを覚え、最後は私よりも強く踏んでいく選手たちを眺めながら、スプリントに関係ないラインで漕ぐのをやめて、シルベストの勝利を叫ぶアナウンスを聞いて、3日間で一勝も出来なかった自分を情けなく思いながら、下を向いてゴールした。
リザルトは22位。帰りの道中でチームメートが教えてくれた。
3日目のレースは比較的満足度が高かった。
それは常に優勝を目指した走りができていたから。力を使わずに集団で過ごしていれば、2位や3位になれたかもしれない。もしかしたら1位にもなれたかもしれない。でもそれは私やフリーダムの力で獲ったリザルトではないから、優勝しても入賞してもきっとどこかモヤモヤが残るレースになったと思う。
自分の力で勝つためのレースを作ろうと頑張ったから、それで勝てなくても楽しかった。
正直に言って、もしも3周目のニュートラルがなかったら…と考えないで済むはずはない。でも胸を張って店に帰れるだけの頑張りをしたのではないだろうか。
- 商品名
- 【E1:JBCF第12~14戦 ツールド熊野 2015年5月29~31日】
- 登録日時
- 2015/05/31(日) 15:14
- メーカー名
- JCF/JBCF レースレポート